高校の時、数学の先生が授業中唐突にこんな話をしたのを覚えています。
「おまえ達ぐらいの年齢だと、"自分"ってなんだろうとか考えるよな。
すごくくだらない、自分は自分でしかないんだ、そんな事考えるだけ愚かなんだ」と。
ばかにしたように吐き捨てたのを、とてもよく覚えています。
当時ちょうど思春期まっさかりでナヨナヨクネクネウフンアハンおさわり禁止のセンチメンタルだった僕は、その言葉にとても衝撃を受けました。
でもそれから10年たって、先生の言っていたことは(言い方は最低だったけど)あながち間違いでもなかったのかなあ、と思います。
アイデンティティはもちろん、愛とか友情とかも含めた「目に見えないもの」って「見つけた!」と感じるのがすごく難しくて、求めたり探したりすると逆に「見つからない!」という感覚が大きくて、すごく焦ってしまうような気がするのです。
そして、それに気付かず探し求め、一喜一憂四苦八苦五臓六腑することこそが青春なのではないかと思うのです。
うちの妹(23歳・アパレル勤務)など、先日の休暇に小樽まで行って徳川家康のコスプレをしてきたそうなのですけれども、写真を見せてもらったら「KISS」と書かれたタンクトップを着てビジュアル系みたいなポーズを決めている妹が写っていました。
確立された自己が、他人から見てまったく意味がわからないものでもよいのです。
自身を持っている人間というのは、見ていてとても恰好のよいものなのですから。
…でも、お兄ちゃんはすごく心配です。
>山本さん
わあ、ニセモノブランドの販売広告ですか!
にせものを堂々とにせものと言って販売する心意気や見事ですが、広告は控えていただけると幸いです。恐れ入りますが、非公開コメントにさせていただきますね。