誰しも何かしら出ているのかもしれません!石垣です。
人間の可視領域を超えたものについては僕達にはわかりませんけれども、たとえば怒ったり悲しんだりする時に脳内で分泌される成分とかが動物達には見えているのかもしれませんね。
動物や赤ちゃんが何も無いところに向かって―…なんて話もありますし、もしかするとオバケとかもそういうものだったりするのかもしれません。
これについてはきっと科学の発展でだいたい解明されてしまっていると思うのですが、正式に否定されてしまうとロマンがひとつ消えてしまうので検索いたしません。「かもしれない」を残す生き方です!かといってネタバレされても特に気にしません!
それはさておき本日は会社に宗教の方が突如やってまいりました。
個人宅ならともかくビル街の1事務所にわざわざ!?と思った時には既に遅く、事務所には僕一人、開いてしまったドアと満面の笑みの宗教おばさん2人、戦いの火蓋が切って落とされました。
…とはいえ僕は勤務中、事務所の留守を兼任するデザイナーでございます。宗教ババア2人と談笑している暇はありません、とっとと追い返さないと留守番としてのコケンに関わります。
・宗教に興味は無いか
・宗教の冊子を置いていって良いか
・あなた個人として興味は無いか
を3セット繰り返し聞かれましたが、すべて機械のように「勤務中なので…」を連呼してお帰り戴きました。
我ながら取り付く島もない、なんとも人間味に欠けた応対でございます。
でも本当に僕自身の人間性を出した応対をするなら、僕はあのおばさん達を救わなければなりません。
もっともらしい美辞麗句を並べ、自らの正しさを自他共に認めさせる事で自分を確認出来る。「心の拠り所」が深く食い込んで同化してしまった存在。
自愛に慈愛の皮を被せ、正義と倫理を纏う事に囚われ、本質の破綻さえ認識出来なくなった信仰の成れの果て。
そう、浮浪者でもそこまで酷いのはいないぞというレベルの虫歯と体臭。あなたの神は風呂も歯磨きも推奨しないというのか。
…アレでございます、心の拠り所は大切なものですし、何を信じるのも自由だと思いますし、勧誘もまあしつこ過ぎなければ仕方ないのかなと思いますけれども…「それ」を背負って動くなら、せめて「それ」の名を汚さぬよう、最低限社会に適合した選択をしなければならなのではないかな、と思った水曜の午後でございました。
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そういえばPGL(ポケモングローバルリンク)が、今月いっぱいで更新だそうでございます。
ゲーム「ポケモン」で遊んでポイントを溜め、パソコンのインターネットでPGLにアクセスすると、ポイントとアイテムを交換したり、ポイントを消費してパソコンでゲームを遊んで景品のレアアイテムがもらえる…というものでございます。
新作が出る度に切り替わり古いポイントは無くなってしまうので、僕もあわててアイテムを戴きました。
ニンテンドーDSのゲーム内で使うアイテムのためにパソコンでゲームをするというのも何だか無間地獄でございますけれども、頑張ってレアアイテムをもらってまいりました。
そのゲームは小さなお子様のためか、ゲームの結果が景品の質と関係なく―…高得点でもハズレ景品だったり、途中で失敗しても最高の景品がもらえたりするので、ひたすら数をこなすしかありません。
ただ数をこなすだけ、となると「最速で失敗してゲームオーバーになる」のが一番効率がよいため、ひたすらレアなアイテムが出るまでゲームオーバーになり続けてまいりました。
虚無感と戦いながら、カチカチと。
100回をゆうに越え、欲しかったアイテムがようやく手に入った頃には、なぜだかもう全部どうでも良くなっておりました。
…「物事は結果がすべて!」という考え方であれば、本件は欲しかった物が手に入ってオールオッケーなのかもしれませんけれど―…やはり過程というのも大切なのではないかな、と感じた次第にございました。
ポケモンに学ぶ悟りの境地…ですね!奥深いものです…!